何用あって異世界へ

以前書いたモノなのですが、案の定Twitterでは文字数や表現の限度があったので忘備録等を踏まえてこちらにも置いておく。

ちなみに原文は山本夏彦の「何用あって月世界へ」を元ネタにしたネタ書きです。


 

過去に私は「何用あって異世界へ 異世界とは眺めるものである」と書いた。そしたらもう何も言う事が無いのに気付いた。これだけで分かる人には分かる。分からぬ人には何万言費やしても分からぬと気が付いたのである。


私はかつて異世界の馬車の客となってためしに言ってみたことがある。「このごろ転生チートとやらをほしがって。よだれをたらさんばかりの男がいる。なんだこんなもの、神々のおもちゃじゃないか」このひと言で、御者は私のすべてを理解した。


この同じ言葉を、チートがほしくてたまらぬ紳士淑女に説いてもむだである。委曲を尽くせば尽くすほど、そこは紳士だからうなずきはするが聞いてはいない。聞けば求めるのをやめなければならなく言論を、どうして聞こう。


私は御者は利口で、紳士淑女は愚かだと言っているのではない。馬車の御者は商売だからこれは理解したが、他を理解しないこと、紳士淑女ははこれを理解しないが、他を理解するに似ている。

理解は能力ではない。願望だと私はみている。だから立証するのはむなしく、言論は自由なのである。


異世界転生は普遍化したという。なら勝手に転生し、次いで他の異世界へも行くがいい。神々のすることを人間がすれば必ず罰が当たると言っても分かるものは分かるまいが、僅かに望みをつないで重ねて言う。